Polyblepharis compsogyne及びその近縁種は、求愛給餌中のペアが撮影される機会が多い ので、詳しくなりますが、それらの区別点について示しておきます。 まず、おーやぎさんの写真の種は、私が、「一寸のハエ・・・」で2007年6月29日No.3595 に示したPolyblepharis亜属の検索表の、4のカプレットにくる未記載種Aにほぼ相当す るものです。 このカプレットでは小楯板剛毛が2対かそれよりも多い点で分けて、未記載種Aは2対 に相当します。しかし、この形質には本州北半部のもので短い刺毛を余分に生じるものが あります。また、♀で後脚の第1付小節背面に羽状剛毛を生じるものと、生じないものに わけてあり、未記載種Aは羽状剛毛を生じるものにあたります。しかし、この羽状剛毛の 分布範囲は地理的な変化があり、全長にわたって生じるものから、基部に限定されるもの もあります。脚、特に前腿節背面や後脛節及び後?節の色彩も種間で異なっています。 確かに、本州中部以西の集団はこれで検索できるのですが、すでに命名された compsogyne, moiwasana, sjoestedtiについて、東アジア東岸の亜寒帯から温帯にかけての 集団の区別点をはっきりさせておく必要があります。このほかのmultinodosaや cylindracea群については特に問題は少なく、前掲の検索表で検索できます。 E. compsogyneは、原記載で Empis (Euempis) compsogyne Freyの学名で記載され、 1♂、Osaka, Takatsuki, Settsuyabakei, 22. IV. 1949, Syusiro Ito. 3♀♀、Osaka, Takatsuki, Settsuyabakei, 27.IV.1950, Syusiro Ito. 1♂、Akita, Kuroyu, 14.VI.1951, Syusiro Ito. がtype seriesです。 Holotypeの指定がないので、これら2♂3♀はいずれもlectotypeの資格をもっていま すが、Frey博士はTakatsukiの♂と3♀の内の1頭にそれぞれ、spec. typ.のラベルをつけ ています。更にTakatsukiの♂にはpinxと言うラベルがあり、これはその個体がDie Fliegenなどに(交尾器が)図示されていることを示しています。このことから、将来 lectotypeにするのはTakatsukiの♂が適当と考え、私はこの個体にcompsogyneの名称を 用いています。3♀はこの♂個体とは別種(未記載種A)です。秋田の♂のことは後に記し ます。 このcompsogyneの高槻の1♂は、 1.小楯板剛毛は2対で、更に5本の弱小の刺毛を生じる。 2.dc刺毛は後端部を除いてほぼ全長にわたって2列。 3.脚は?節を含めて黄色。 4.前腿節背面が暗化する。 5.後腿節の前腹剛毛列は基部ではやや弱いが、ほぼ腿節全長に亘る。 6.亜背暗条(acrとdc剛毛列のあいだ)は幅広く、acr部の淡色条とほぼ幅が等しい。 という特徴を具え、これは中部地方から九州の集団まで適用できます。 一方、高槻の3♀に属する♂は以下の特徴を持っています。 1.小楯板剛毛は1対のみで、弱小刺毛も生じない。 2.dc刺毛は1列、ごく先端部が不規則に2列のこともある。 3.脚は腿節と脛節基半部が黄色、脛節端半部ないし基部を除く大部分と?節は黒色。 4.前腿節背面も通常黄色で個体によりやや暗色。 5.後腿節前腹剛毛は節の端半部に限定され、基部近くのものはあっても少数で刺毛状で きわめて弱い。 6.亜背暗条は狭く、acr部の淡色帯より明らかに狭い。 これらの特徴は本州中部から九州までの集団に適用できます。 この種を前述の検索表では未記載種Aとしてあります。 すなわち、Frey博士のcompsogyneのタイプシリーズは、私の言うところのcompsogyne 1♂、未記載種Aの3♀、それに秋田黒湯の1♂から構成されています。 このように、本州中部以西の2種は上記の通りの外観からの形質で識別できます。雌に ついても後腿節と後脛節の色彩で容易に識別できます。すなわち、compsogyneでは黄色な いし黄褐色、未記載種Aでは黒色です。また雌雄ともにdc刺毛列が2列(前半で; compsogyne)か1列(未記載種A)で識別することができますが、未記載種Aの東北地方 の集団では、dc刺毛の前端部がやや2列化することがあるので注意が必要です。小楯板剛 毛の状態はやや不安定な形質と言えます。 問題は、おーやぎさんの青森むつ市の集団です。この集団は種としては本州中部以西の 未記載種Aに相当するのですが、本州中部以西の集団とは以下の1、2、5、6の諸点で 異なっています。 1.小楯板剛毛の1対に加えて、少数の刺毛が加わったり、剛毛が2対であったりする。 2.dc刺毛は基本的には1列、個体によって前端部から中ほどまで2列。 3.脚は腿節と脛節基半部が黄色、後脛節は基部を除く大部分と?節は黒色。 4.前腿節背面も通常黄色で個体によりやや暗色。 5.後腿節の前腹剛毛列は基部ではやや弱いが、ほぼ腿節全長に亘る。 6.亜背暗条は広く、acr部の淡色帯より広い。 のような特徴があります。 このような特徴に加えて、青森の集団は次のような特徴を持っています。 1.翅の基部の黄色味が中部以西の集団より強い。 2.♂交尾器挿入器のサドル状部の形状が中部以西の集団より先端に向かってかなり強く 一様に細くなる。 3.♀の後?節の第1付小節背面の羽状剛毛が基部だけに限定される。 4.♀の第3腹節背板側部の黄色毛が顕著である。 このような差がみられますが、おそらくこれは未記載種Aの地理的変異(多分クライン) であろうかと思っています。それは次の点から推測できます。 この青森の集団に類似しているのがE. compsogyneのタイプシリーズにある秋田黒湯の ♂は、 1.小楯板剛毛は1対で、さらに1本の弱小の刺毛をもつ。 2.dc刺毛は1列、左のdc列の前端部に1刺毛があって部分的に2列。 3.脚は腿節と脛節基半部が黄色、後脛節は基部を除く大部分と?節は黒色。 4.前腿節背面はやや暗色。 5.後腿節の前腹剛毛列はほぼ腿節全長に亘る。 6.亜背暗条はacr部の淡色帯とほぼ同幅ないしそれより狭い。 という特徴を備え、1、5の特徴では青森の集団と共通しています。 以上の結果に基づいてカムチャツカから日本列島にかけてのE. moiwasana近縁種を列 挙すると以下の通りです。 カムチャツカと北千島   E. sjoestedti Frey, 1935 北海道          E. moiwasana (Matsumura, 1915) 本州以南         E. compsogyne Frey, 1953 本州以南         未記載種A  本州東北地方       東北集団  本州中部以西       中部以西集団 これらのうち、sjoestedtiとmoiwasanaはきわめて近縁で、未記載種の地理的変異のよう に、クラインのような変異の可能性もあります。同種とした場合でも、moiwasanaの方が 古いので、これが有効でしょう。 Empis (Polyblepharis) moiwasana gpの検索表 1.♂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2   ♀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 2.中、後脛節は全体的に黄色ないし黄褐色、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 中、後脛節は少なくとも端半部は暗褐色ないし黒色・・・・・未記載種A・・・・・5 3.交尾器挿入器のサドル状部の亜端部は背面から見ると強く括れるために、先端部は菱 形;側面から見たサドル状部下部の湾曲部には基方に1個の隆起と先方に1個の小 突起を生じる(北海道以北)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 交尾器挿入器のサドル状部は背面から見ると先端に向かって一様に細くなり、亜端部 から先端部の側縁はほぼ平行である;側面から見たサドル状部下部の湾曲部には基 方のみに1個の隆起を生じ、先方に小突起を生じない。胸背のdc刺毛は顕著に2列; 中、後脚は基節を除いて全体的に黄褐色ないし黄色(本州以南)・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・compsogyne 4.胸背のdc刺毛はほぼ全長にわたって1列、個体によっては前半1/3が部分的に2列(北 海道)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・moiwasana 胸背のdc刺毛は全長にわたって2列(カムチャッカ、北千島)・・・・・・sjoestedti 5.背面から見た交尾器挿入器のサドル状部は先端に向かって緩やかに細くなり、先端に 近づくとその両側縁はしばしば平行;小楯板剛毛は1対のみ・・本州中部以西集団   背面から見た交尾器挿入器のサドル状部は先端に向かって一様に細くなる;小楯板剛 毛は1対で、しばしば余分の小刺毛を生じるか剛毛が2対・・・・・・・・・・・    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本州東北集団、対馬集団 6.後腿節と後脛節は黄色ないし黄褐色;dc刺毛は顕著に2列・・・・・・・・・・・7 後腿節と後脛節は全面的ないしほぼ全面的に黒色;dc刺毛は1列、時に前端部が部分 的に2列・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 7.本州以南産;前腿節の背面は暗化する;後?節の第1付小節は後脛節の1/2を越え る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・compsogyne   カムチャツカ、北千島産;前腿節は全面的に黄色;後?節の第1付小節は後脛節の1/2 かそれより短い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・sjoestedti 8.後腿節背面の羽状剛毛は短く、腿節の丈(横から見た幅)より明らかに短い;北海道 産・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・moiwasana   後腿節背面の羽状剛毛は長く、腿節の丈にほぼ等しい;本州以南産・・・・・未記載 種A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 9.第3腹節背板側部の黄色毛は短く、目立たない;小楯板剛毛は1対・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本州中部以西の集団   第3腹節背板側部の黄色毛は長く、顕著;小楯板剛毛は1対、1対+弱小刺毛、また は2対・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本州東北地方集団 なお、moiwasanaの学名にはややこしい経緯があります。 本種は松村松年(1915)昆虫分類学で、「あしぶとをどりばいEmpimorpha plumipes Mats.」 の名称で記載されたものですが、付図は「あしぶとをどりばいEmpimorpha moiwasana Mats.」となっています。この図は記載分で指定された図です。要するに「あしぶとをどり ばい」に二つの種名を用いられています。その上、これはEmpis属の種で、しかもEmpis plumipesはすでにMeigen, 1804とZetterstedt, 1842で使われているので、松村先生の plumipesは無効です。そこで、図も原記載を構成していると判断して、その中で用いられ ているmoiwasanaを「あしぶとをどりばい」の有効な学名と判断したわけです。そうすれ ば、学名から本種は北海道札幌藻岩山との関係があることが伺えます。 北大松村コレクションには、Moiwaで1904年6月1日に採集された1♀があり、松村先 生による2枚のラベル、Pachymeria moiwasana det. MatsumuraとEmpimorpha moiwasana Mat. Det. Matsumuraが付けられています。昆虫分類学の図に合致するもので、 これがタイプシリーズの一部であることは間違いないでしょう。しかし、原記載には♂♀ の記号があり、おそらく記載当時は♂の標本があったはずですから、上記の♀の標本は holotypeではなくてsyntypesの一部ということになります。原記載文の「黒色ノ羽状毛ヲ 装フ、後肢ハ黒色、腿節ハ甚ダシク膨大ス」とあり、この特徴は私がmoiwasanaとしてい る種の♀の特徴に一致します。 一方、松村先生は昆虫分類学の出版の翌年1916年、新日本千蟲図解の巻之二で、「あしぶ とをどりばいEmpis plumipes Mats.」を記載しています。これは、京都で鈴木元治郎氏の 採集標本で、「脚ハ淡黄褐」とあります。図は♀で、記載文にも♀に該当することしか書か れていないので、この図の個体がタイプとなるでしょう。北大松村コレクションには鈴木 氏の標本作成法であるとされるセルロイド板に貼り付けた1♀があり、ラベルを欠きます が、これは原記載の図と形が一致するとともに、記載内容も一致します。この標本はFrey のcompsogyneの高槻の♂と同種となります。前述のようにplumipesは先取されています ので無効(1915年にもplumipesを松村先生自身が用いていますが、これはmoiwasana のもので、不適格unavailable)となります。  Empis (Polyblepharis) moiwasana (Matsumura, 1915)(キタセスジオドリバエ)   Empimorpha moiwasana Matsumura , 1915. あしぶとをどりばい. 昆虫分類学下巻、 p.27、Fig. 1(8)(♀). 模式産地:北海道札幌藻岩山(現存唯一の syntypeより推定).   Empimorpha plumipes Matsumura, 1915. 昆虫分類学下巻、p. 27 (不適格名). Empis (Polyblepharis) compsogyne Frey, 1953 (キアシセスジオドリバエ)  Empis (Euempis) compsogyne Frey, Notulae Entomologicae 33, 38-39. 模式産地:大 阪高槻摂津耶馬溪、秋田黒湯.タイプシリーズは2種混合しているために,三枝(2008) はcompsogyneの学名を摂津耶馬溪の1♂に用いた.  Empimorpha plumipes Matsumura, 1916. あしぶとをどりばい. 新日本千種昆虫図解, 巻之二, 355-356, pl. 21, fig. 18 (♀). 模式産地:京都. Empis plumipes Meigen, 1804 のjunior homonymで無効. Empis (Polyblepharis) sp. A (クロアシセスジオドリバエ,仮称)  Empis (Euempis) compsogyne Frey, Notulae Entomologicae 33, 38-39. 模式産地:大阪 高槻摂津耶馬溪,秋田黒湯.タイプシリーズは2種混合しているために、三枝(2008)は compsogyneの学名を摂津耶馬溪の1♂に用いたので,攝津耶馬渓の3♀に相当する種.